Dr.ナンバの時間 番外編 - 犬と猫、なんやかんやで39年
私が獣医師になったのは1987年です。
今年で39年になります。
39年。
こうして数字にすると、なかなかです。
自分では、ついこの前獣医師になったような気もしていますが、さすがに39年を「ついこの前」と言い張るのは無理があります。
獣医師になった頃は、まさか自分がこんなに長く犬や猫を診ているとは思っていませんでした。
目の前の患者を診て、分からないことがあれば調べて、うまくいかなければ悩んで、また次の日も診る。
そんなことを繰り返していたら、なんやかんやで39年経っていました。
途中で誰か、
「先生、そろそろ40年ですよ」
くらい教えてくれてもよかった気がします。
まあ、言われたところで何も変わらなかったと思いますが。
気がつけば、動物医療もずいぶん変わりました。
私が獣医師になった頃には、今ほど検査機器もありませんでした。
分かる病気も少なかったし、使える薬も少なかった。
今ならきちんと名前のつく病気が、昔は、
「うーん……何かおかしい」
で終わっていたことも、きっとあったと思います。
今では超音波検査もCTもあり、血液検査で分かることも増え、新しい薬もどんどん出てきます。
獣医師になった頃の自分に今の診療を見せたら、
「えらいことになってるな」
と思うでしょう。
たぶん、その前にCTの値段を聞いて倒れると思います。
犬も猫も、本当に長生きになりました。
15歳、17歳、20歳近い子を診ることも珍しくありません。
「君、ずいぶん長いこと頑張ってるなあ」
と思いながら診察することがあります。
まあ、向こうから見れば、
「おまえもな」
と言われているかもしれません。
若い頃は、病気を治すことばかり考えていました。
診断する。
治療する。
治す。
それが獣医師の仕事だと思っていました。
「この病気は何だ」
「どう治す」
「もっといい方法はないのか」
頭の中は、だいたいそんな感じでした。
今思えば、もう少し肩の力を抜いてもよかったと思います。
ただし、若い頃の自分にそう言っても、たぶん聞きません。
少なくとも、若い頃の私は聞きませんでした。
そこはあまり進歩していないようです。
もちろん、今でも治せる病気なら治したいし、診断できるものならきちんと診断したい。
そこは変わりません。
でも、長く診療していると、少しずつ見えるものが変わってきました。
今日はちゃんと食べたか。
ぐっすり眠れているか。
自分で歩けているか。
飼い主さんのそばで、いつもの顔をしているか。
検査の数字も大事ですが、それだけでは分からないことがあります。
若い頃は「病気」を見ていた。
今は少しだけ、「その子」を見るようになったのかもしれません。
少しだけです。
39年やって、ようやく少しです。
進歩というのは、思ったより遅いものです。
同じ病気でも、同じ答えとは限りません。
長く犬や猫を診ていて、強く思うことがあります。
100頭いれば、100通りの生き方があり、100通りの亡くなり方がある。
同じ病気でも、同じ経過をたどるとは限りません。
病気を抱えながら何年も元気に暮らす子もいます。
ゆっくり弱っていく子もいます。
ある日突然、別れがやってくることもあります。
ご家族の考え方も、それぞれです。
できるだけ長く一緒にいたいと思う方もいれば、つらい治療はなるべく避けたいと考える方もいます。
どちらが正しくて、どちらが間違い、という話ではありません。
犬や猫にも性格があります。
家族にも事情があります。
そして、犬や猫本人がこちらの治療方針に賛成しているとは限りません。
薬を出しても、
「私は飲みません」
と全力で拒否する猫もいます。
こちらが医学的に完璧な計画を立てても、本人に即日却下されることがあります。
錠剤を口に入れたはずなのに、数分後に床に落ちていることもあります。
いつ出した。
どこに隠していた。
猫というのは、時々こちらの自信を静かにへし折ってきます。
だから、同じ病名でも、その子にとっての答えは同じではない。
若い頃の私は、「医学的に一番正しい治療」を選べばいいと思っていました。
今は、
「この子にとってはどうだろう」
「この家族にとってはどうだろう」
と考えることが増えました。
39年もやれば、少しくらい悟ると思っていました。
ところが、全然悟りません。
むしろ、分からないことは増えました。
知れば知るほど、
「ほんまにそうかな」
と思うことが増えます。
昔の常識が変わることもあります。
新しい薬も出ます。
新しい考え方も出ます。
今でも論文を読みます。
時々、
「それ、昔は逆のこと言ってなかった?」
と思うこともあります。
医学というのは、こちらがようやく覚えた頃にルールを変えてきます。
なかなか意地が悪い。
たまには、
「もうこれで確定です。今後変わりません」
という知識があってもいいと思うのですが、あまりありません。
経験を積めば何でも分かるようになる。
若い頃はそう思っていました。
これは見事に外れました。
39年やってきて、ひとつだけ確信したことがあります。
分からないことは、なくならない。
……39年やって、その結論かい
少し寂しい結論です。
飼い主さんの「何となく」は、かなり大事です。
診察をしていると、飼い主さんから、
「何となく、いつもと違うんです」
と言われることがあります。
この「何となく」は、結構侮れません。
少し痩せた。
少し水を飲むようになった。
前より寝ている。
階段を嫌がるようになった。
うまく説明できないけれど、何か違う。
毎日一緒に暮らしている人にしか分からない変化があります。
「先生には分からないかもしれませんが」
と言われることもあります。
はい。
分かりません。
なので、教えてください。
こちらは毎日見ているわけではありませんから。
獣医師39年でも、飼い主さんの観察力には勝てないことがあります。
というより、かなりの頻度で負けます。
そして犬や猫には、病院用の顔があります。
家では元気がないのに、病院に来ると妙に張り切る犬。
診察台に乗った瞬間、すべてを諦める犬。
キャリーケースの奥で気配を消して、
「私はここにはいません」
という顔をする猫。
こちらの手元をずっと見ながら、
「次、何する気や」
と警戒している子。
採血が終わった途端、
「今日はこれくらいにしといたるわ」
みたいな顔をする猫もいます。
こちらとしては、
「いや、こっちのセリフや」
と思います。
診察が終わるまでずっと怒っていたのに、帰ると分かった瞬間だけ機嫌が直る子もいます。
受付では普通の顔をして帰っていきます。
こちらだけが疲れています。
39年診ていても、こういうのは飽きません。
むしろ最近は、病気以外のところを見る方が面白くなってきた気もします。
長生きの答えは、いまだによく分かりません。
とても元気な高齢の犬や猫を見ると、今でも考えます。
この子は、どうしてこんなに元気なのだろう。
食事なのか。
運動なのか。
体質なのか。
性格なのか。
暮らし方なのか。
飼い主さんとの関係なのか。
それとも、単に運がいいのか。
39年診ていても、長生きの答えはよく分かりません。
もし分かったら、一度論文にしてみたいところです。
ものすごい発見になるかもしれません。
結論が、
「よく食べて、よく寝て、あまり気にしない」
だったら、39年かけたわりに少し弱い。
でも案外、そういうことなのかもしれません。
うまくいったことも、うまくいかなかったこともあります。
振り返れば、うまくいったこともあります。
うまくいかなかったことも、もちろんあります。
嬉しかったこともあります。
悔しかったこともあります。
今でも時々思い出す犬や猫もいます。
「あの時、もう少し何かできなかったかな」
と思うこともあります。
たぶん、こういう気持ちは何年やってもなくならないのでしょう。
それでも次の日になれば、また診察室に立ちます。
犬が来る。
猫が来る。
話を聞く。
触る。
考える。
迷う。
決める。
そして、また考える。
たまに昼ごはんを食べる時間がなくなります。
39年前から変わらないことの一つです。
そして、昼ごはんを食べる時間がある日はある日で、
「今日はヒマやな」
と少し不安になります。
忙しくても文句を言い、ヒマでも心配する。
我ながら、なかなか面倒です。
結局、39年前からあまり変わっていないのかもしれません。
1987年から39年。
長かったような。
あっという間だったような。
まあ、なんやかんやありました。
獣医師になった頃の自分が今の私を見たら、何と言うでしょう。
「まだやってるんですか」
くらいは言いそうです。
はい。
まだやっています。
そして、まだ分からないことばかりです。
まあ、39年やってこれです。
もうしばらく、犬や猫たちにいろいろ教えてもらおうと思っています。
難波信一
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